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生きること。
いのちに関するドキュメンタリーを見たので感想。

今日授業で、とある住職のドキュメンタリー番組を見ました。
その方は仏教のお坊さんなのですが
カトリックとか他の宗教にも区別することなく
講義を行いにいくといういう方でした。
そしてその住職さんは86歳の体が不自由なお母さんと暮らしています。
そのため一日のかなりの時間を介護に費やす日々を送っているのですが
その介護の様子が、もう
目を背けたくなるくらい辛く悲しくなってくるのです。
親は自分を生み、育ててくれた人です。
そんな絶対的な人物があんなにもしわしわになって
骨が浮くほど痩せて小さくなって
自分の助けなしには生活もできなくなるなんて考えると
すごく怖くなります。
この住職さんが看護学校や修道院で行った講義の中で
「親はいつまでも自分に綺麗なところだけを見せ続けてくれるんじゃない」
「やがて親の汚いところをみることになる」
「そういうところを見せて、親は子供に命のことを教えていく」
とおっしゃっていました。
そして母の介護を通して命と向き合った住職さんの
「生まれたときから人は死刑宣告を受けている」
「明日死ぬのか、10年後に死ぬのかはわからないけど
いつか死ぬことを自覚して健康な今をどのように生きるか向き合うことが大切」
という言葉はとても重みのあるものでした。
住職さんのお母さんは番組の途中から
さらに痩せて衰弱していきます。
そしてついには亡くなってしまうのですが
その過程は
本当に見ていられなかったです。
私にはその死が数年前に亡くなった祖父の死に
重なって見えるところもありまして。
授業とはいえ涙をこらえきれなかったのです。
それでひとつ、祖父が亡くなった時に
「命は火みたいだ」と漠然と思ったことを思い出したのですが。
人の命って
目に見えて弱っていくのがわかるんですよね。
それってだんだん火が弱くなっていくみたいで
最後にはすぅっと消えてしまうんです。
それが火みたいというか灯りみたいというか・・・

こうして自分も生と死というものに向き合ったことはあるわけで、
でも自分が生きていてやがて死ぬってことは
なかなかいつも感じていられることでもないです。
ドキュメンタリーの中でも言われていましたが
心臓の鼓動って、生きていることの証であると同時に
死に向かって刻んでるものでもあるんですよね。
「今をどう生きるか」
これって本当にすごく大きな課題です。

今日はとてもいい資料をみせていただけました。
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